
- 同じものでも見え方が違う!
右図はゲシュタルト錯視と呼ばれている画ですが、これひとつとってもヒトにより見え方が違うことがわかります。
そして私たちの日常は、そういったものがたくさんあります。「同じものを見ていても見え方は違う!」この事実をしっかり認識しておく必要があります。
とても勉強になるお話でした。日本の教育では「ひねくれている」ということは『悪』と捉えられることが多いです。
しかし、よくよく考えれば、ひねくれて見ることは「視点を変える」ということに過ぎないということです。
さらに、インプットとアウトプットの段階で別の視点を変える。これもとても勉強させていただきました。
勉強にも通じることなのかなーと直感的に感じました。
「自分が抱えている問題も別の視点からみれば、実は問題ではないのかもしれない・・・」
こう考えることができるだけで、気持ちが少し楽になれると思います。
一方方向の見方しかできないというのは、人生の選択肢を狭めてしまう・・・。
見方だけでこんなにも変わるもの何ですね。とても驚きました。
同じものを見ても見方が違う。この言葉を聞いて当たり前だろうという気持ちがあったのですが、今回の音声を聞いてみると、当たり前と思っていたのはうわべだけで、本質的には何もわかってなかったということに気づきました。
何か物事が起きた時に、調子がいい時には、落ち着いていて色々な見方ができるのに、不得意な場面(緊張する場面)や調子が良くない時は同じ反応しかできない。しかもあまり良くない反応。
本当にわかっているのであれば、柔軟な対応ができるはず。
自分の子供があまり食事の量を摂らないのですが、摂れないのかもしれない。
一度にたくさん摂れないので分けて食べようとしているのかもしれないと思い、ハッとさせられました。
ありがとうございます。
今回の「同じものでも見え方が違う」のお話の中の一つの絵を見る角度で全然違うものに見えるということを自分の生活に置き換えてみると、今まで如何に一つの角度でしか物事を見れていなかったかを痛感しました。
今の仕事がまさに物事を「記号」で見るような仕事なので、全体的に見ることを心がけようと思います。
今後の人生において非常に勉強になりました。ありがとうございました。
同じ物で見え方が違うと、人により感じ方が違うは一見違うようでイコールで結ばれているんだと「ハッと」気付かされました。
確かに人により好き嫌いが違うように物の見え方考え方も違うと改めて気付かされました。
世の中が正解といっている事でも視点を変えて疑ってかかると言うことは大切なんだなーと思います。
考え方は人それぞれでいいんだと痛感しました。